スルタン・シンタン

提供: Yourpedia
2020年6月23日 (火) 01:30時点における由亜辺出夫 (トーク | 投稿記録)による版 (赤道会1976により新規作成)

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内検索

スルタン・シンタンインドネシア語Sultan Sintang)は、西カリマンタンシンタン一帯を支配していたスルタン[1]

1945年3月以前にポンティアナク事件で日本軍に殺害された[1]。同月頃、亡くなったスルタンの邸宅には、過去の王家の歴史に関するものや、石器・隕石などが陳列してあった[1]

夫人はスルタン・サンバスの妹で、事件後はスルタン・サンバスの邸宅に寄寓していたようだった。若い頃から理知的で、革新的な考え方をもっていた人物だったといい、スルタン・シンタンと結婚するとき、(イスラム教では一夫多妻が認められていたが)スルタンが他の女性と結婚しないことを条件にしていた。またスルタン・サンバスに似て繊維品の試織などに熱心だった。[1]

付録

脚注

参考文献

  • 赤道会 (1976) ポンチアナク赤道会『続赤道標』JPNO 73015036